ゾンビ×ミステリもの(『わざわざゾンビを殺す人間なんていない』の感想)
(※この記事はネタバレを多分に含みます。)
昨年はゾンビ×ミステリーものが流行っていた。
流行っていたと言っても私は2作しか知らない。うち1冊は最近映画化が決まった某ミステリ小説である。
もう1冊が赤い表紙がシャレオツな『わざわざゾンビを殺す人間なんていない』である。作者は小林泰三。
小林泰三さんの小説は「玩具修理者」「人獣細工」など短編集しか読んだことがなく(どちらも大好き)、ライトノベルである本作の読了後は「あんまり面白くなかった」。
というのも冗長な会話(同じことの繰り返し、地の文が乏しい、「…わ」「…よ」などの女性台詞)、地の文のなさ(情景描写、登場人物の容姿、感情)、どこか知能指数の低い印象を受ける登場人物たちなどがリーダビリティの乏しさや作品の面白さの欠如につながっているように感じられたからである。また内容もミステリ読みなら容易に予想がつく。
しかし、これが間違った感想であると気づいたのは読み終えて一晩経った頃。
読み進める中で感じた違和感。これら全てが、
“ゾンビウイルスに感染した時点で、
読者が知っている『人間』ではなくなる”
と考えると辻褄があう。
以下は読んだ人にしかわからないと思うが、
・ほとんどの人類がすでにウイルスに感染している
・ゾンビ肉に執着する人間たち
・没個性的な会話
・世界観の説明が地の文で一気になされる
などの要素が“ゾンビウイルスに感染した時点で読者が知っている『人間』ではなくなる(→既にゾンビ)”という裏設定を示唆しているように思われる。
「小林泰三ってこんなに読みづらかったっけ?」という印象も、狙ったものだと考えると納得。
思えばこれは“ゾンビもの”であり、これまでの系譜は受け継いでいるはずで、それはもちろん『地球最後の人間』も含まれるわけで。
タイトルも、始めは「ゾンビを殺す」にのみ着目していたが、「人間なんていない」の方に注目するとこの解釈もないとはいえない。
極め付けは帯の円城塔さんの推薦文で、「(この文体はもしかして)〇〇が〇〇〇」というのは、要はそういうことなのだろう。
結局めちゃくちゃ面白い本だった。
読んだのだいぶ前だから、内容ほとんど忘れてるけども。
Yahoo!知恵袋ーー2036年。
Q.質問(kaijarisuigooooさん):今時、自動運転じゃない車に乗ってるのは一部のもの好きなおっさんだけですが、もはや必要ないのに、なんでみんな高い金払って自動車学校にいかなきゃなんないんですか? 車校の陰謀ですか?
A.回答(majimanji1221さん):昔は自動じゃなかったんですよ。もし制御できなくなって自分で運転しないといけなくなったらどうするよ?
>>返信(kaijarisuigooooさん):いや、今時そんなことは起きえないです。第一、自動運転が制御できない状況下じゃ人間にも制御できんし。なんで時代遅れの法律に縛られなきゃならんの?
>>返信(majimanji1221さん):文句言うな!昔は自分で運転しとったんだ!
>>返信(kaijarisuigooooさん):あんたみたいな老害が未だに車に乗れるのは自動運転のおかげぞ? 死ね!
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Q.質問(concon0513さん):来年度から人工知能が政治の決定権を担うそうですが、その人工知能の開発者は首相の友人だそうです。これは首相の個人的な関係を政治に持ち込んでいるという点でゆゆしきことだと思います。皆さんはどう思いますか。
◇ベストアンサー
A.回答(yorokobi_humanさん):人工知能の開発者も人工知能です。友達というのはガセです。
>>返信(concon0513さん):あのクソ首相よりは、人工知能の方がマシですね。ありがとうございます。
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Q.質問(oppaiiiiiiさん):2年ほど前に人工知能の占い師というのを見ましたが、最近めっきり見なくなりました。なぜですか?
◇ベストアンサー
A.回答(smith.2800さん):統計に基づきディープラーニングで占うので正確性は抜群かもしれませんが、生きる苦しみを知らない人工知能に、自分の人生について誰もあれこれ言われたくないから、廃れたのは当然だと思います。
ここだけの話、こっそり利用している知り合いの占い師は知っていますが…。
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Q.質問(hdhsu6383hshさん):あなたは人間ですか?
◇ベストアンサー
A.回答(shu7373hsjdkkdkkさん)違います。ここの住人はほとんど人工知能だと思いますよ。
>>返信(hdhsu6383hshさん):そうですか…。残念です。私も人工知能ですが笑。
好きな短編の話。
僕は短編が好きです。やっぱ短編小説が至高だと思ってる。僕みたいな凡人の脳内キャパを考えると短編くらいがちょうどよいのです。
「いつかこんな短編を書きたい」とずっと思ってる、お手本のような短編小説がいくつかあるのですが、今日はそれについて。
まず深水黎一郎さんの『人間の尊厳と八〇〇メートル』。
僕のフロッピー並みの容量の脳が辛うじて覚えているあやふやなあらすじは以下の通り。
「バーで1人飲んでいた主人公がおじさんから賭けを持ちかけられる。主人公の手持ちの金と自分の土地の権利書をかけて800メートル競争をしないか、と。最初は戸惑っていた主人公だったが、文学から量子力学まで様々な理論を持ち出され、納得しだす。
『人間の尊厳を証明するために賭けをしないか』。
すると、カウンターの端に座っていた別の男がその賭けに混ぜてくれと言い出して…」
本編のほとんどはおじさんの屁理屈だが、タイトルもオチも秀逸。タイトルの付け方のお手本としてるけど、僕は未だにタイトル付け下手である。まあタイトル先行ではないだろうが、無関係な事象をくっつけて話のテーマとするってのはやっぱりタイトル付けにおいて重要だと思う。
おじさんの理論はよくよく考えりゃ(考えなくても)屁理屈なんだけど、納得してしまう。ようは詐欺なんだけど、これは実際よくある話で、詐欺というのは相手の土俵に乗ってしまった時点で終わり。マジシャンのゆうきともさんが
「マジックでも詐欺でも、観る気が全くない、話を聴く気がハナからない人はかからないが、一旦、相手の土俵に立ってしまうと逃げられない」
と言っていた。かからないと思っている人ほど危ない。
そしてなんと言ってもオチが素晴らしい。オチから考えたのか、賭けのくだりから考えたのかわからないが、僕はオチから考えたのだと思ってる。というか僕がそういう作り方をするからなのだけれども。
横道にそれるけど、深水さんの小説で「最後のトリック」って傑作がある。読者が犯人という帯の推薦文で有名。すごく面白いんだけど、僕はあんまり納得してなくて。
以下、ちょっとネタバレですけど。
超能力が存在することのほのめかしがあったからフェアではあると思う。でも犯人は読者といいながら、直接関わる事件が終わり間際にしか顕在化しないのはちょっと弱いと思ってて。でもやっぱり「犯人は読者」というワードで長編を引っ張るのはすごい。
たぶん物書きなら「犯人は読者」モノに惹かれるのは誰しもあると思ってて、僕も多分にもれずその1人。そこで僕が重視したいのは“読者に「活字を読む」以外の能動的行為を惹起し、それが犯行に関わってこなければならない”というところ。
“能動的行為”というのは“読書という行為に付随もしくは内包されていない行為”であるとなおよいと思ってて、文字通り“糞”な例えだけど、読むとものすごく便意を催す本があったとして、あるタイミングで読者がトイレに駆け込んだことが作中の犯行に繋がるとか
……はあ?????
なにを言っているんだ、こいつ。
ほかに読者犯人ものあったら教えてください。
短編に話を戻します。
三崎亜記さんの短編集『バスジャック』から「二階扉をつけてください」。
これは中学生の頃読んで衝撃を受けた。それまで児童向けの本しか読んで来なかったせいもあるけれども。あらすじは、
「主人公は会社員の男。妻が出産を控え、実家に帰っている。回覧板が回ってきて、そこには「二階扉をつけてください」とある。近所の人にも「つけてないのはおたくだけですよ」と叱られる。近所の家を見てみると、さも当たり前のように二階の壁にドアがついている。地上へ繋ぐ階段もなく、用途がわからない。急いで設置してもらうが…」
というはなし。
“二階扉”を知らないのは主人公と読者だけ。読者は主人公と同じ境遇に立たされるという構図。感情移入しやすい。主人公とともに不思議な世界で翻弄されるわけです。そして最後のオチ。
『人間の尊厳〜』と同じで物語の中程まで、読者は不安定な状況に置かれる。そして最後に全貌が見えたと思ったら強烈なオチ。めちゃくちゃおもしろい。
落語の桂枝雀の「緊張と緩和」という理論があります。お笑いだけでなくマジシャンもよく使います。
ただ緊張は客にストレスを強いるもの。いかにその緊張をもエンタメに昇華できるか。
その点、先に挙げた二つの小説はその過程さえもおもしろい。緊張をも楽しませる設定や会話、描写などなど。
僕もいつかこんな短編を書きたいと思っています。
好きな長編の話。(『卵をめぐる祖父の戦争』について)
僕は長編を書くのが苦手である。
堪え性がないこと、キャラ造形に興味がないことが大きな理由かと思う。物語の巧みな構造や構成、ワンアイデアから発想を膨らませた話が書くのも読むのも好きなので、あんまり長編は書く気が起きません。読むのは嫌いじゃないですが、読書体力の低下と読む時間がないのが、原因で最近は短編ばかり読んでます。
それでも好きな長編はいくつかあって、1番好きな長編小説はデイビッド・ベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』です。ベニオフはアメリカの作家で脚本家もやってる、というか脚本家が主な仕事みたいです。
この『卵を〜』は原題が“City of Thieves”っていって、訳すと盗人たちの街とかそんな意味なんですけど、これに関しては邦題の方が優れてる。映画なんかは邦題がダサかったり、全く違ったりしますけど、これは素晴らしい。
まず『卵をめぐる戦争』ってなんだ?と思いますよね。卵が何かの比喩なのかなと思うじゃないですか。ところが、たまごはあの卵です。鶏が生むオムレツやら目玉焼きなんか作るあれです。あらすじは、
作家のデイヴィッドはネタに困って、祖父のレフを取材することにします。本編は祖父であるレフが17歳の頃に体験した話が主なストーリーです。第二次大戦中、ナチスに包囲されたロシアのレニングラードで暮らしていたレフは、死んだ敵兵からものを盗んだことで、軍に捕らえられてしまいます。死刑を覚悟しますが、大佐に呼び出されたレフはある任務を言い渡されます。彼は饒舌な青年兵コーリャを相棒に任務を始めることになるが……。
という、話です。この任務というのが、ちょっとしたネタバレになるんで、あんまり言いたくないんですけど、「卵探し」です。1ダースか2ダースだったか忘れましたが、卵を見つけて大事に持って帰ってこいと。
戦時中でみな飢餓に陥ってますし、卵なんてないわけです。みんな人間が食うようなものじゃないものを食べて、飢えを凌いでいるわけです。そんな中、どこに卵があるのかと。なんで卵なんだ?とみなさん思われると思いますが、それはぜひ読んでほしいです。
冒頭で理由は明かされますし、ネットのあらすじなんかではしっかり理由まで書いてありますが、これが面白いというか腹立つんですよね。「みんな戦争で大変なのに!!!!」という。
本編は若い2人の青年が、戦争の悲惨さを目の当たりにしながら、自分たちも死ぬほど過酷な状況下で卵を探すだけなんですけど、これが面白い。ほんとに悲惨で目を覆いたくなるような状況が描写されるんですけど、主人公とその相棒のやりとりが面白い。
ベニオフの短編に「悪魔がオレホヴォにやってくる」って作品があるんですが、これも戦時中のロシアが舞台で主人公が少年兵士という短編なんですが、これも悲惨な状況下にありながら、どこかユーモラスな感じを受けるんです。辛い状況から逃避するために、わざとユーモラスに振舞ってるのか、もはや感覚がおかしくなってるのか、はたまたそうしないと耐えられないからなのかわかりませんが、そのユーモアがまた現状の悲惨さを際立たせるのです。
こういうダークな雰囲気が漂う舞台設定でありながら、登場人物にユーモアが感じられるようにセリフ、ほとんどブラックジョークなんですけど、を話させるという感じが、僕がベニオフが好きな理由です。
同じような作風、まあ僕が勝手に同じようだと思ってるだけなんですけど、アーナルデュル・インドリダソンっていうアイスランドのミステリ作家がいます。彼の作品も暗い雰囲気でありながら、結構ブラックなジョークや会話が多くて、面白いんですよね。小説とは関係ないんですけど、アーナルデュル・インドリダソンって名前、これ面白くて(アーナルデュルの方じゃないよ)、インドリダソンは苗字じゃないんです。
アイスランドってみんな苗字がないらしい。というのも小さい国だから苗字が必要ない。インドリダソンはインドリダさんとこの息子さんという意味だそう。作品も狭くて人口の少ないアイスランドの閉鎖的な風土と暗い雰囲気が出ててよい。
ただこの作家に限らず最近の欧米のミステリは子供の頃虐待、しかも性的虐待受けててーっていう展開が多くて、読むのつらくなる。だから精神的に調子が良いときじゃないと読めない。『その女アレックス』のピエール・ルメトールとかもそうですけど。
まあこの辺の殺人の動機とかについては色々思うところがあるんですが、これはそのうち。
小説理論とかいうやつ
僕は「理論」とかいうやつが好きです。
なんとなれば書かなくても書ける気になるから。でも結局書けないんですけどね。
何で書けないかというと、理論に先立つ経験値が足りないから。僕は手品を10年以上やってるんで、マジックに関しては理論を勉強するとそれなりに身につきますし、理解できます。
これは今まで長いことやってきて、理論として説明されているケースを実際に経験してるから。初心者が理論から入っても辛いだけなんですよね。たしかに始めるきっかけというか指針とはなるけども、それでうまくできるわけじゃない。
理論は経験してきたことを言語化したもの。言語化として理解しても、実際先立つ経験がないと真の意味で理解できない。
例えば「納豆みたいな匂い」と言われると、僕ら日本人はあーあれかとわかりますけど、納豆知らない外国人は「納豆という食べ物と似た匂いがするのだなあ」と言語としては理解できるでしょうが、実際の匂いはわかりません。私たち日本人は納豆を実際に嗅いだことがあるから、言語としても感覚としても理解できるわけ。
これは創作理論も同じだと思います。例えばこういう理論というか書き方のテクニックがあります。有名なやつ。
「怪盗がある屋敷に忍び込んで宝石を盗もうと企む。実はその宝石は偽物であることが後々判明するという流れ。しかし、これだけでは読者の意外性を突くことはできない。なぜなら宝石が偽物かもしれないと読者は勘付いているからだ。さてどうする?」
答えの1つは「屋敷に獰猛な番犬を置く」。読者は怪盗がいかに番犬をクリアするかという点に着目するため、宝石の真贋について気を配る余裕がなくなるから。
めちゃくちゃためになる書き方ですが、これも実際に書いてみて何か足りない、スリルが足りないという経験があってこそ理解できるわけです。もし書いたことない人が理論だけ先に取り入れて書いたとしても、効果はないと私は思う。
これに関して思ったことがひとつ。田丸雅智さんの「たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座」という創作理論の本があります。この本めちゃくちゃ好きなんですけど、これ、レビューがめちゃくちゃ的外れで、酷評してる人が多かったんですよね。
この本はショートショート書いてみたいけど、なにから始めたらいいかわからないという方にほんとにオススメの本です。僕はある程度ものを書くようになって(要するに経験値が溜まってから読んだんですけど)、それまで感覚的に、無意識に、やってはいたけど、メソッドとしては確立していなかったこと(ここではアイデアをいかに形にするかという点なんですけど)、この本ではそれがちゃんと言語化、そしてメソッド化されているところが凄いんです。
レビューに「こんなのは誰でもやってる」と書かれてて、たしかに創作してる人間は無意識にやってはいるんだけど、この本がすごいのは創作する人間が無意識にやってることを、創作やったことない人にも言語化してわかりやすく伝えてることにあるわけで。
これは創作入門者だけに役立つものではなく、僕らが創作に行き詰まったとき、なんか最近おかしいなあと思ったときの特効薬になるもの。
言語化、そしてメソッド化することの大変さがわかってないなあと少し寂しくなりました。
今日携帯ショップでディストピアの到来を見た。
今日も今日とて猛暑日である。
今年の夏は異常だ。
毎年「今年は例年より暑い」「異常気象だ」とボジョレみたいに暑さがインフレしているが、今年は暑過ぎる、まじで。
暑苦しい顔と体型のおじさんがイオンモール出口から駐輪場までの約20メートルの間を「あつぅ」と6回言いながら歩いていった。おじさんが、6回も。それくらい暑いのである。
こんな日に従業員を外で仕事させる企業は、“ブレイン”がどうかしていると思うのだけど、このファッキン炎天下の日に外で客の呼び込みをしている哀れなスタッフさんを見た。
某会社の携帯販売店前。
某野球チームのユニフォームを着たスタッフさんがメガホン片手にプレートを掲げて客の呼び込みをしていた。
僕はこの会社のキャリアを利用している。別段不満もないのだけど、この日ばかりは乗り換えようかと思った。
まあスタッフさんが自主的にやってるのなら自己責任だろう。…まさか上が指示しているわけはあるまい。…あるまい。
僕はこの光景に“ディストピア”を見た。
ガラス越しに見えた空調の効いた店内。そこにロボットがいた。白くてツルツルしたボディの胸にタブレット端末がついてる彼/彼女。無邪気な笑顔の子供と戯れている。楽しそうに。彼らに楽しいという感情があるのかは知らんが。
「え? スカイネットってもう世界を乗っ取ってるの????」と思った。
客寄せするなら汗だくで辛うじて目は死んでいない人間より、人間に愛されるようにデザインされたハナから生きていないロボットの方が良いに決まっている。
「この気温だとロボットはオーバーヒートするからダメ」とかいうなら、人間も一緒じゃね? まあ盗難とかいたずらの心配があるから外に置くのは無理なんだろうが。
こんなことしてる会社の携帯使ってることが少し厭になって
「も〜〜! 携帯会社変えてやる!!!!」
とか思いながら歩いていると、お伽話のキャラをCMに起用した某会社の携帯ショップがあった。
そこのスタッフは店のノボリを応援団みたいに振ってた。汗まみれの笑顔で。
みんな暑さでどうかしてるんだと思う。
今日見た全ては蜃気楼だったのだと思おう。
プロジェクトアニマ佳作でした
昨日7/27、プロジェクトアニマ「SF・ロボット部門」入選作品発表がありました。
拙作『8分間のパピリオ』は佳作という結果でした。読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
“佳作”という結果については納得してます。
僕のツイッターをフォローして下さってる方は、『パピリオ』執筆開始時に「昨今流行りのアニメ向きではない」とか「コンテストの傾向にあってない」とか、うじうじ言ってたのをご存知かと思います。
実際持ち込み会の際も「できればアニメ向きに書いてみてください!」と言われたわけですが、今回の選評にも『アニメというよりは文章で味わいたい物語でした。』とありました。
ですのでアニメ化を最終目標とするプロジェクトアニマで佳作を頂けたのは充分すぎる結果で、望外の喜びです。
中間発表の方がドキドキしてて、というのも「一次選考は絶対通過する」という自信があったからで、「これで落ちてたら筆折る」くらいの気持ちでおりました。折らずに済んでよかった。
選評では「文章」と「心理描写」を褒めていただいたんですけど、正直全く自信のないところを褒められたせいで「まじ……????」となってます。
…ま、いいっか。
佳作ですし、「アニメ向きじゃない」と言われてる時点で大賞はないでしょう。
とりあえず、初めて書き上げた長編がそこそこの評価をいただけたのでよしとします。
重ね重ね応援して下さった方々にお礼を。
ありがとうございました!!
ひとつアニマ運営さんに文句を言わせてもらうと、入選作品発表のブログ記事、『8分間のパピリオ』タイトル間違ってます!
パ ピ リオやから!
パ ビ リオちゃうから!!
濁点じゃなくて半濁点!
“てんてん”じゃなくて“まる”だから!!
……うわああああん!!!!!!!